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黒はんぺんは、鯖、鰺、鰯などをすり身にして茹でた物であり、形は半円形で色は灰色の練り物である。焼津の特産品であるが、ほぼ県内全域で食されている。
に伝わる郷土料理。地元の食文化に触れてみたい人向け。
染飯は「瀬戸の染飯」と言われ、旧東海道の上青島村瀬戸町(現在の藤枝市)の茶屋で戦国時代から売られてきており、東海道の名物として知られてきたもの。もち米を蒸した強飯をくちなしの実で染めてすりつぶし、薄くのばして小判の形などにして干して作られていた携帯食。
山葵漬けは、わさびの刻んだ葉や茎、根を酒粕に漬けた料理。 わさびの発祥は、慶長年間(1596~1615年)に、それ以前から静岡市葵区の有東木地区の佛谷山(ぶっこくさん)に自生していた野生のわさびを、同地区の湧水源付近に植えたこととされる。
伊豆地域で祭りなどのハレの日に作られる郷土料理。元々は漁師飯のため、地元で捕れたサバを使う。
国内で桜エビが水揚げされるのは駿河湾だけ(※)であり、静岡市の由比港と焼津市の大井川港のみである。桜エビ漁はアジの綱引き漁に偶然桜エビが入ったことから、明治27年から始まった。
県内の主な養殖ウナギの産地は、浜名湖周辺と大井川流域の2カ所があり、吉田町は大井川流域の産地にあたる。吉田町におけるウナギの養殖は、大正時代に度重なる大井川の洪水で稲が育たなくなり遊休水田となった地に養鰻池を築造して、大井川の伏流水を利用したことからスタートした。
伊豆半島はところてんの原料となる天草の日本一の産地(※)である。約1600年前から天草漁が行われており、ところてんの原料や肥料としても利用されていたという。
おざくは、里芋、大根、にんじんなどの野菜をだし汁と醤油、砂糖で煮た野菜の汁物である。結婚式や葬式、祭りなど人が集まるときに、隣近所がそれぞれの畑で収穫した野菜を持ち寄ってつくった郷土料理。
「たまごふわふわ」は江戸時代に袋井宿で提供されていた料理で、袋井市観光協会が地元の新名物にと再現・復活させたもの。江戸時代の文献「仙台下向日記」によると、袋井宿の大田脇本陣で宿泊客の朝食に出されたという。
長崎県浦上地区が発祥の郷土料理。 1500年後半、浦上地区でキリスト教を布教していたポルトガル人宣教師が、当時肉を食べる習慣がなかった信徒たちに「健康にいい食べ物」として豚肉を食べさせようと作られたのがはじまりといわれる。
長崎県の離島・壱岐の代表的な郷土料理。 かつて壱岐の農家では、盆・正月・祭りの日に客が訪れると、自宅で飼っていた滋味深い鶏をさばいて鍋料理をつくり、奥の座敷に引き通してもてなしていた。
古くから大村市に伝わる郷土料理。 室町時代、戦に敗れ領地を奪われた大村純伊(おおむらすみこれ)が、反攻して領地を奪還し帰還した際に、領民らがそれを祝うために押し寿司を作り供したのが起源とされている。
落花生の名産地として知られる長崎県大村市の郷土料理。 具材のひとつとして薄皮つきのゆで落花生を入れるのが特徴の煮込みで、江戸時代に大村市一帯のもてなし料理として作られていたのが、いまに伝わったとされている。
島原地域と対馬地域に江戸時代から伝わる郷土料理。調理方法に多少の違いはあるが、どちらの地域でもさつまいもから作った粉をこねてうどん状にして、つゆに入れた料理である。
全国的に知られる長崎名物の麺料理。 1899(明治32)年、中華料理店『四海樓(しかいろう)』の店主・陳平順(ちんへいじゅん)氏が中国人留学生に安くて栄養があるものを食べさせようと、鍋で野菜や肉の切れ端などを炒め、そこに中華麺を入れて濃いめのスープで煮こんだボリュームたっぷりの料理を作ったのがはじまりとされている。
長崎県の島原半島に伝わる郷土料理。 「いぎりす」は、材料や作り方は若干異なるものの、愛媛県今治地方に伝わるイギス藻を使った料理「いぎす豆腐」がルーツだといわれている。
「五島うどん」は、長崎県の最西端にある五島列島の古くからの特産品。 かつて五島は遣唐使船の寄港地であったことから、中国でさまざまなことを学んだ遣唐使がその原型を伝えたといわれている。
「鶏飯」は、諫早市の目代地区に伝わるおもてなし用の混ぜご飯。 昔から、正月や盆のときに、男衆が自宅で育てた鶏をさばいて作るのが習わしで、いまも基本的に男性が作るものとされている。
「もろぶた寿司」は長崎県の県北地域に古くから伝わる押し寿司。 由来は大村市に伝わる「大村寿司」と同じで、室町時代に戦に破れ領地を奪われた大村純伊(おおむらすみこれ)が反攻して領地に帰還した際に、領民らがそれを祝うために押し寿司を作り供したのがはじまりといわれている。
「鼻はじき」は諫早地区に伝わる郷土料理。 一枚の皿にさまざまな食材を放射状に並べ、それを辛子酢みそをつけながら食べる。
「ぬっぺ」は諫早地区に古くから伝わる郷土料理。 実は、これに類する料理は日本各地に存在している。
長崎では縄文時代から捕鯨が行われており、江戸時代には大村湾の東側に位置する彼杵(そのぎ)が古式捕鯨の中心地として栄えた。それにともない長崎では鯨を食す文化が根付き、古くからさまざまな鯨料理が生まれている。
五島列島北部の小値賀島(おじかじま)に伝わる郷土食で、島の特産品である落花生をすり潰して、葛粉と混ぜて固めたもの。小値賀島での落花生栽培の歴史は、少なくとも70年以上前に遡り、島特有の赤土と潮風によって育まれた落花生は甘さとコクに定評がある。
「茹で干し大根とかんぼこの煮物」は西海市の郷土料理。「茹で干し大根」と「かんぼこ」の組み合わせが長崎ならではの味わいをうみだす。
「レモンステーキ」は、長崎県佐世保市で1955年ごろから親しまれはじめた地元の名物料理。 佐世保には戦後まもなくアメリカ海軍の基地ができた影響で、界隈では早くからアメリカンステーキが流行した。
「対州そば」は、古くから対馬で栽培されているそばの品種のこと。名称にある「対州」はかつての対馬国を指している。
「くりつぼ」は、昔から川棚町と東彼杵町で食べられてきた地域伝統の煮物料理。 名称の「くりつぼ」の「くり」は具材に栗を使うことからきており、「つぼ」は料理を盛るおわんを坪に見立てていることからきている。
「つぼ汁」は、西海市雪浦地区の郷土料理。地域によって「いんげん汁」や「つぼき」と呼ばれている。
「長崎ミルクセーキ」は、大正末期~昭和初期に長崎市で生まれたアイスデザート。 九州で初めてオープンした喫茶店『ツル茶ん』が、長崎の夏の猛暑をしのぎやすくする一品をと、砕いた氷を入れたミルクセーキを作ったのがはじまりといわれる。
「ハトシ」は、明治時代に清国(当時の中国)から長崎に伝わった料理。 中国語で「蝦多士(ハートーシー)」と書くとおり、蝦=エビのすり身を、多士=食パンで挟み、それを油で揚げて作る料理で、当初は円卓を囲む卓袱(しっぽく)料理のなかの一品となっていた。