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「いりこ飯」は、いりこと呼ばれる煮干しを使った炊き込みごはん。瀬戸内海では、いりことなるカタクチイワシの漁が盛んで、とりわけ西讃(香川県西部)地域に位置する伊吹島周辺は有数のいりこの産地として知られている。
に伝わる郷土料理。地元の食文化に触れてみたい人向け。
海に面していない奈良県では、日持ちのする生節(なまぶし)を使った煮物がよく食されていた。生節は、カツオ節の製造過程で焙乾した加工品のことで、焙乾することで余分な水分を飛ばし、風味や旨味が増す。
奈良県に伝わる郷土料理。地元の食文化に触れてみたい人向け。
「呉和え」は、ゆでた大豆をすり潰した「ご」を衣にして野菜やきのこと和える料理で、西部地域の日南町に伝わる郷土料理である。 日南町は、島根県・広島県・岡山県に隣接し、面積の9割を森林が占める伯耆地方山間部の町で、県内でも有数の豪雪地帯である。
「大和まなと薄揚げの煮もの」は、大和の伝統野菜である大和まなを使用した家庭料理である。大和まなは、アブラナ科の野菜であり、「古事記」に記載されている「菘(すずな)」をルーツとする古くから食されてきた「ツケナ」の一種である。
「しきしき」は、小麦粉に水と砂糖を入れて薄く焼いた戦前からある奈良のおやつである。現在は卵を入れることもある。
奈良県では醤油味の炊き込みご飯のことを「色ご飯」いう。 炊き込みご飯の歴史は古く、奈良時代には米に「あわ」を混ぜてかさ増ししたご飯を「あわご飯」と呼んでいた。
「まなめはり」は、塩漬けした下北春まなを使用しためはりずしのことである。高菜を使っためはりずしも十津川地域では郷土料理として伝わっているが、下北春まなを使っているめはりずしは下北山村地域に限定される。
「奈良和え」は、奈良の特産品である奈良漬を使用した和え物で、子どもにも人気の料理である。 平城京跡地で発掘された長屋王木簡にも「加須津毛瓜(かすづけけうり ) 」との記載があるが、当時の酒はどぶろくのような物であったので、現在の酒粕とは違い、容器の底の澱(おり)に野菜などを漬けた物であったとされている。
「蕨餅」は、蕨粉に水や砂糖を加えて加熱しながら混ぜ、冷やして固めた和菓子である。特に奈良は蕨粉の名産地であった事から、奈良の名物となっている。
「葛餅」は、葛粉から作られる透明でプルプルとした舌触りのいい餅である。葛粉の原料である葛は、マメ科の多年草で、北は北海道から南は九州まで日本全国に広く分布している。
奈良県桜井市三輪は素麺発祥の地とされており、この地でつくられる素麺は三輪素麺と呼ばれている。1200年以上前に三輪山を御神体とする日本最古の神社である大神神社で、疫病と飢餓に苦しむ民のため救済を祈願したところ、神の啓示を賜った三輪の里に小麦を撒き、粉に挽き、水でこね延ばして糸状にしたものが素麺の起源とされている。
米を茶で炊き大豆や栗などを加えた炊き込みご飯。奈良県東大寺の「お水取り」の献立「ゲチャ」が原点とされ、僧の食べていた料理が奈良から川崎(神奈川県)へ伝わったといわれる。
関西地方では食用の鶏肉を「かしわ」と呼んでいる。天神さんの守護神が牛であることから、天満宮の秋祭りのお祝いの席では鶏のすき焼きが食べられてきた。
米をほうじ茶などで炊いた粥。奈良県・三重県ともに東大寺「お水取り」の行事食「ごぼう」に由来するとされ、米の節約や腹持ちを兼ねた郷土料理として伝わる。
「ぼっかけ」とは、福井県で100年以上前(大正初期)から食べられている郷土料理で、根菜や糸こんにゃくといった具だくさんの熱い汁を、炊き立てのご飯にかけて食べる料理である。熱々の汁をごはんにぶっかけ(ぼっかけ)ることから、「ぼっかけ」と呼ばれるようになったという説の他、客人に振る舞う料理で、あまりの美味しさから、帰ろうとした客人たちを追いかけて(ぼっかけて)引き留めるほどだったからという説もある。
福井県に伝わる郷土料理。地元の食文化に触れてみたい人向け。
平均寿命が全国でもトップクラスの福井県で、最もよく食べられているそばは「おろしそば」である。結婚式や仏事の〆の料理や、大みそかの夜の年越しそばとして食べられる。
「ごんざ」とは、打ち豆と大根の煮物である。「ごんざぶろう」という人がつくったから「ごんざ」、大根が「すりこぎ(ごんべ)」に似ていることから「ごんべ」、また「ごんじなます」などとも言われたりする。
「長寿なます」は、名前の通り食べると長生きするとされ、お正月には欠かせない。大根にはジアスターゼという酵素が多く含まれており、正月料理を食べすぎて疲れた胃腸の調子をととのえるとされる。
開祖・親鸞の祥月命日(旧暦11月28日、新暦1月16日)の前後、秋から新年にかけておこなわれる浄土真宗各派の年中最大行事を報恩講といい、福井県では「ほんこさん」や「おこ(う)さま」と呼ばれる。「里芋のころ煮」はその報恩講に集まった人々に振る舞う精進料理の一つである。
江戸時代中期(18世紀中頃)から明治30年代にかけて、北海道から福井各地を寄港し、大阪まで至る西回り航路で、商品を売買しながら拠点を回っていた商船「北前船」があった。単に荷物を運搬していただけではなく、寄港地で安い商品があればまとめて買い、それが高値で売れる港でさばくことにより多大な利益を得ながら航海していた。
福井県の代表的な郷土食として、昔から親しまれている。南越前町河野地区(旧河野村)では「よもこんじ」といわれている。
開祖・親鸞の祥月命日(旧暦11月28日、新暦1月16日)の前後、秋から新年にかけておこなわれる浄土真宗各派の年中最大行事を報恩講といい、福井県では「ほんこさん」や「おこ(う)さま」と呼ばれる。「すこ」はその報恩講に集まった人々に振る舞う精進料理の一つである。
開祖・親鸞の祥月命日(旧暦11月28日、新暦1月16日)の前後、秋から新年にかけておこなわれる浄土真宗各派の年中最大行事を報恩講といい、福井県では「ほんこさん」や「おこ(う)さま」と呼ばれる。「麩の辛し和え」はその報恩講に集まった人々に振る舞う精進料理の一つで、麩や味噌が使われるため精進料理のなかでは貴重なたんぱく源である。
若狭湾での中心地だった小浜市は、”背負い”と呼ばれる京都まで魚を徒歩で運ぶ”鯖街道”の出発点であった。古くは飛鳥・奈良時代から都の朝廷に食材を納めることを認められた「御食国(みけつくに)」として知られ、食に関して重要な役割を担っていた。
「谷の都」とも言われる鬼無里(きなさ)地域には、野菜を干して保存する食文化が古くから根付いている。山に囲まれた鬼無里地域では、以前は雪が積もると外部との交通が遮断されていたため、長い冬を越すために食べ物を干して、保存して食べるようになったといわれている。
長野県に伝わる郷土料理。地元の食文化に触れてみたい人向け。
北部の西山地域の土壌は、大豆の生産に向いていることで、以前から麦類や豆類の栽培が盛んにおこなわれている。香りの良さとほっこりとした甘みのあるよい大豆で、西山地域で育てた大豆は品質よく「西山大豆」と名付けられている。
「しょうゆ豆」は、「しょうゆの実」とも呼ばれ、北信・中信地域に伝わっている蒸した大豆や黒豆を種麹で発酵させてつくる発酵食品で、醤油の旨味がつまった「食べる醤油」のようなもの。香川県のそら豆でつくる郷土食の「しょうゆ豆」とは全く異なる。
「えご」は「エゴ草」という海藻を煮溶かして固めたもので、新潟県などにも伝わる郷土料理。エゴ草は、日本海沿岸の漁村から行商人によって信州の山村に運ばれたといわれており、「えご」を食すのは、「塩の道」沿道の大北地域から長野西山地域(信州新町、小川、中条、七二会等)を中心に分布する。
「具だくさん味噌汁」は、旬の野菜、肉、魚などがたくさん入った具だくさんの汁物のこと。「味噌は医者いらず」といわれるほど栄養豊富で、1日1杯のみそ汁は、今と変わらず昔も1日の活力源だった。
諏訪地域の寒天製造業は、低温な気候と安定した天気に恵まれ、他の地域よりも長く製造できることと、明治末期の鉄道開通によって発展した。寒天産業が始まったのは江戸時代。