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そば粉と米粉、またはもち米粉を練ってのばし、ひし形に切ってゆでる「はっとう」。江戸時代、米やそばなどを食べ過ぎないよう、粉食を禁止する動きがあった。
に伝わる郷土料理。地元の食文化に触れてみたい人向け。
その昔、内陸にある会津若松は、新鮮な魚介を手に入れることが難しかった。そのため、にしんや棒鱈、貝柱など、乾燥させて長く保存できるように加工した海産物がよく食べられていた。
福島県で多く栽培されているえごま。県内では「じゅうねん」と呼ばれ、さまざまな郷土料理にも使われている。
福島県はえごまの名産地。その歴史は明治時代よりも前と言われ、長く栽培が行われてきた。
豆腐を凍らせてから戻し、乾燥させて作る「凍豆腐」は、寒い地域特有の郷土料理。寒風に2週間ほどさらして、水分を抜いていく。
郡山で鯉の養殖が始まったのは明治時代。江戸時代、雨量が少ない地域であったために水源を確保するために、市内に溜め池を作り始めたが、明治に入って安積疏水(あさかそすい)が完成し、使われなかった溜め池を活用してコイの養殖を行うようになったという。
冬に旬を迎えるあんこう。捨てるところがない魚とも言われ、身だけでなく肝などもよく食べられている。
つゆ煮しめはだし汁に野菜やにしん、豆腐などを入れて煮込み、醤油や砂糖で味付けしたもの。地域によっては「つゆじ」「ことじ」などとも呼ばれている、南会津周辺の郷土料理の一つである。
福島県では長年にわたり、さまざまな野菜が栽培されてきた。全国的に生産されている野菜もあれば県独自のブランド野菜も多く、これらは伝統野菜として受け継がれ続けている。
「ざくざく」は「ざくざく煮」「ざくざく汁」とも呼ばれ、江戸時代頃から親しまれている郷土料理の一つである。『俳諧製法の事』によれば、ざくざくは「菜を細かく切ったもの」を指すとされていたが、その後食材をざくざくと角切りにした汁物という認識に変化していったとされる。
キャベツ餅は郡山市の逢瀬地区で80年以上前から食べられている郷土料理である。米やキャベツを育てている農家が自給自足を行う中で生み出したといわれている。
古殿町など福島の一部の地域では馬鈴薯のことを「かんぷら」と呼び、主食として食べる文化が根づいている。由来は馬鈴薯のオランダ語「アールダップル」が訛ってかんぷらへと変化したのではないか、と言われており、主な産地は郡山市や南相馬市、いわき市などが挙げられる。
福島県の郡山市では鯉の生産が盛ん。明治になると猪苗代湖から引水し、溜池をつくり、各地の士族が貯水池で鯉の養殖を始め、生産量が増えていった。
あなごをかば焼きにしたものをそぎ切りにし、だしで炊いたご飯の上に敷き詰めた料理。あなごを蒸す場合もある。
里芋・れんこん・にんじん・ごぼうなどの根菜と鶏肉、こんにゃく、干ししいたけなどを煮た料理。広島県大竹市、山口県岩国地域ともに、平たく大きな蓋つきの塗り椀「大平」に盛ることからこの名がついた。
かきの養殖が盛んな江田島市周辺で作られるようになった、かきの旨味をふんだんに楽しめる炊き込みご飯。 広島のかき食の歴史は長く、古くは縄文・弥生時代から天然のかきを食べていたことが、貝塚から出土した殻により分かっている。
「魚飯」は、身を焼いてほぐした白身魚と、錦糸卵、三つ葉、しいたけ、えび、のり、たけのこなどの彩りの良い具材をご飯に乗せ、その骨でだしをとった汁を加えて食べる料理である。主な伝承地域である竹原市は古くは遠浅の海であったが、江戸時代に干拓され塩田が作られ、1650年から1970(昭和35)年まで約320年以上もの間「塩の町」として栄えた。
おにぎりを「広島菜漬け」で巻いたもの。広島菜とはアブラナ科に属する白菜の一種といわれている。
「えび粉」はゆでた小さなえび(アカエビ)の殻をむき、包丁で叩いて細かくし、砂糖、みりん、酒などで甘く炒りつけたもの。包丁ではなく、すり鉢でする場合もある。
古くからのりの養殖が盛んな広島市中区の江波地区で、昔から食べられているのり巻き。焼きのりにご飯と広島菜漬け、かつおぶし、しょうゆ、ごまをあえたものを乗せて巻いたもの。
一般的な「肉じゃが」といえば、じゃがいも、牛肉、玉ねぎをメインに、にんじんや絹さやなど家庭によって異なる具材をしょうゆと砂糖で味付けした煮物であるが、「呉の肉じゃが」はじゃがいもにメークインを使用し、牛肉、糸こんにゃく、玉ねぎと決まった具材で作られるのが特徴。肉じゃがのルーツは、かつて東郷平八郎元帥がイギリス留学中に食べた「ビーフシチュー」を艦上食として作るようにと部下に命じ、調理員が当時貴重だった赤ワインのかわりにしょうゆを入れるなど試行錯誤を重ねた結果、「甘煮」が生まれたのではないかという説がある。
四角い木でできた型枠に酢飯と具を詰めて作る押し寿司の一種で、広島県広島市安佐北区周辺や、芸北地域で食べられている。木枠から押し出すと6~8個の同じ大きさのものが同時にでき、出来上がりが四角いため、角寿司と呼ばれるようになった。
鯛めんは、ゆでそうめんを大皿に波形に盛り、その上に鯛の姿煮を乗せ、木の芽やきゅうり、錦糸卵、甘辛く煮たしいたけなどを添える料理。松の小枝などを飾ることもある。
「イギス」という海藻と生大豆粉を煮溶かし、寒天のように固めたもので、凝固剤などを加えなくても自然に固まる寒天やところてんと同じ原理の料理である。お盆や祭りなど家族や親戚など人が集まる機会には必ず作られており、夏によく作られる地域もある。
「もぶり」の名前の由来は、広島の方言で「混ぜる、混ぜ込む」を意味する「もぶる」であると言われ、地域により「もぶりご飯」「もぐり飯」とも呼ばれる。炊いたご飯に干ししいたけ、ごぼう、にんじん,黒豆、さやいんげんなどの野菜を混ぜ込んだもの。
わけぎはユリ科のネギ属に属し、ねぎとエシャロットが交雑してできた品種で、ねぎの仲間であるがねぎとは違う独特な香りを持っている。 わけぎは種子を作らず球根が分かれていくことにより増える性質があり、1玉の球根が半年で50球以上に増えることもあることから、「子宝に恵まれる」縁起物として桃の節句に好んで食されてきた。
「八寸」は安芸門徒(広島県西部地方の浄土真宗門徒)の多い地域で食された、山の幸と海の幸を組み合わせて作られた煮物である。 名前の由来は、盛りつける漆器の直径が八寸(約24センチ)ということからという説や、「8種類の=多くの」材料を使っているからという説がある。
高野豆腐粉は高野豆腐を作る過程で出る粉で、とふ粉とも呼ばれている。とふ粉と刻んだ野菜を炒め煮にしたものが多可町の家庭料理としてよく食されている。
焼き餃子には酢や醤油、ラー油を合わせたタレをつけて食べるのが一般的だが、神戸では味噌ベースのタレをつけて食べる「味噌だれ餃子」が広く食されている。 第二次大戦前、満州に住んでいた日本人の間では、当時、中国人が食べていた水餃子ではなく、焼餃子が好まれていた。
薄くのばした生地に、味付けをしたジャガイモやすじ肉、こんにゃく、キャベツなどをのせて焼いたものを半分に折ったお好み焼きのことを高砂市では「にくてん」と呼んでいる。 家庭料理として食べられている。