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人寄せ事の際につくられる郷土料理。もともと僧堂(そうどう)や仏事でつくられていた精進料理で、盛り付ける器が端は少し外側に反り、糸底は少し高く、朱漆塗りの木製皿で、その名前が「ちゃつ(楪子)」と呼ばれるものであったためで、それに盛り付けられていた料理であることから、この名前がついたとされている。
三重県に伝わる郷土料理。地元の食文化に触れてみたい人向け。
餅はおめでたい時の食べ物なので、臼と杵で餅をつくと近所にも配るのが一般的であるが、日常生活の中で餅を食べたいときに餅をつくと目立ってしまうために、隣近所に聞こえないように、杵と臼を使う代わりに、鍋の中で蒸した米を半づきにしてつくって食べていた。どうしてももち米よりうるち米の方が潰れにくいので、粒々の残ったやじろ餅(たがね餅)風になるのでさっくりして食べやすい。
熊野灘沿岸の志摩地方から東紀州地方の漁師街での背の青い小型鮮魚の食べ方の一種に「たたき」がある。船で出てとれたてのものを、さらに新鮮に美味しく食べるために生まれたのが「たたき」である。
「ガラガラおろし」は、竹でできた専用の鬼おろし器を使ってつくる三重の郷土料理である。 江戸時代、年貢として米を納めていたが、米が納められない際、米の代わりに献上したといわれ、食料の乏しさから「ガラガラおろし」を納める地域は年貢米が免除になったといわれている。
具材を混ぜ込んだ酢飯やご飯で、別名「おまぜ」とも呼ばれる混ぜずし・混ぜご飯。香川県小豆島では海山の幸を炊き立てのご飯に混ぜ込み、三重県東紀州地域南部では奇数の具材を合わせ酢で和える五目ずしとして、ともに冠婚葬祭などハレの日に作られる。
大根は古くから食べられており、すでに日本最古の文書「古事記」や「日本書紀」にも記されているという。また、大根という名は根が大きいことから「おおね」とか、色が白く涼しげだから「すずしろ」と呼ばれていたのが、正倉院文書では「羅萄」や「大根」の漢字が使われているという。
山々に囲まれた盆地である伊賀地域では、魚介類の入りにくい時代があり、豆を加工した豆腐が重要な栄養源だった。豆腐の製法は中国起源とされ、遣唐使が持ち帰ったとされるが、文献的には1183年春日大社の神主日記に「唐符」の字で現れるのが初出らしい。
一般的に、魚すきとか沖すきとか呼ばれ、魚介類や野菜その他多くの種類の材料を薄めの煮汁で煮る鍋料理のことで、漁師街ではポピュラーな料理である。東紀州地域では熊野灘の豊かな漁場であがったその時々の魚と季節の野菜を醤油仕立ですき焼き風につくる鍋物。
サメは古代には「ワニ」や「フカ」と呼ばれ、神話や木簡、文献に見られるように、人々の生活の近くにあった。三重県以外でも広島県や青森県、宮城県など多くの地域で食されている。
すし飯と魚の具材を型に入れて段状に重ね、押し固めた押し寿司。三重県東紀州地域、高知県、兵庫県淡路島西浦海岸地域など各地に伝わり、こけら落としやこけらぶきの屋根に見立てた盛り付けが名前の由来とされる。
伊勢食文化圏では、昔から伸ばす手間をかけずに腰の無い太いうどんをつくり、これに味噌だまりを絡ませて食べていたという。伊勢参りが盛んになる江戸時代になると、参宮客にいつでも食べられるようにと、ゆで続けた麺にたまりを掛けてすぐに食べられる店が出来てきた。
漁師が船上でとれた魚をその場でさばいて、手で混ぜあわせたことから「てこねずし」と呼ばれるようになり、主に海沿いの地域で食されてきたが、現在では、農山漁村の郷土料理百選にも選ばれ、三重県を代表する郷土料理の一品となっている。 三重県は日本でも有数のカツオの漁獲高(「令和元年漁業・養殖業生産統計」農林水産省により第4位)を誇り、中でも熊野灘地域は、一本釣りと曳き縄釣り漁業が盛んな地域である。
お盆になると豆腐店は精進料理に使用する油揚げ、豆腐づくりに精を出した。しかしながら今のような冷蔵技術がなかった時代は、油揚げも豆腐もすぐに傷んでしまうのが大きな課題だった。
宮城県に伝わる郷土料理。地元の食文化に触れてみたい人向け。
小麦粉と黒砂糖を主体にした素朴な蒸しパン。雁(がん)の肉に似ることや、満月に向かって飛ぶ雁のような見た目が名前の由来とされ、宮城県・岩手県で親しまれるおやつ。
きらず炒り、きしゃず炒りともいわれる伝統の郷土料理。きらずとは、豆腐をつくったときの搾りかすであるおからの別称。
豊かな漁場を持つ宮城県では、気仙沼や石巻、塩竈、閖上といった漁港がある、明治の中頃からヒラメやスズキ、タイなどの魚が大量に獲れるようになったものの、今ほど輸送方法も発達していない時代にあっての保存方法として生まれたのが、「焼きかまぼこ」だった。それまでは各家庭で白身魚をすり身にして、手のひらでかたどって竹串に刺して焼いていたものが、加工品として出回るようになった。
米どころである宮城県では、昔から正月、婚礼、法事、葬儀などの年中行事には欠かさず餅が食べられている。また、彼岸や盆、農作業がひと段落したときなど、餅をハレの日の食として食べる習慣があった。
宮城県は餅料理が豊かで50種類以上あるといわれる。正月、婚礼、法事、葬儀などの年中行事にはもちろん、農作業の区切りなどでも食されている。
寒さが厳しい東北地方では、古くから寒風に野菜や魚をさらして保存食をつくる習慣があった。 へそ大根もそうした保存食の一つで、県南の丸森町でつくられている。
はっとは、県北一帯で食べられている、小麦粉を使用した郷土料理。小麦粉に水を加え、耳たぶ程度のかたさになるまでよく練り、適当な時間寝かせ、指で薄く伸ばしてゆでる。
こんにゃくの歴史は古く、鎌倉時代には貴族や僧侶など身分の高い人たちの間で薬や間食として食され、室町時代になると道端で売り歩く商人がでるほど、庶民の間でも広く食べられるようになった。安土桃山時代には織田信長が赤こんにゃくをつくらせたという逸話も残っている。
福岡県に伝わる郷土料理。地元の食文化に触れてみたい人向け。
小麦生産量が多い福岡県では、昔から多くの農家で稲作のほかに小麦の栽培がおこなわれていた。小麦はそれぞれの家庭で粉にして、だんごなどをつくり農作業中のおやつにしたり、来客のおもてなしなどとして食べられ、さなぼりの時には必ずつくられている。
かわたけ(川茸)は、福岡県朝倉市の黄金川でしか収穫できない貴重な天然淡水海苔。昔から高級珍味として扱われ、江戸時代には将軍へと献上されていた貴重品である。
九州地方では一般的な調味料として親しみのある「ゆずごしょう」。発祥の地は諸説あり、福岡県の英彦山周辺もその一つといわれている。
家庭でつくられてきた郷土菓子である。福岡県は小麦の生産が盛んで、生産面積は上位を誇る。
高菜はからし菜の仲間で、葉や茎のピリリとした辛味が特徴である。高菜漬けの流通がはじまったのは明治時代。
福岡県で鶏肉を食べる習慣が生まれた背景として、江戸時代の飢饉(享保の飢饉等)で福岡藩の財政が枯渇したことがある。福岡藩では「鶏卵仕組」という役所をつくり、藩内で養鶏を振興して鶏卵を上方に出荷することで、財政を立て直そうとしたため、養鶏が盛んになったといわれている。
福岡県の奥八女は日向神から有明に流れる矢部川の上流にある。弓掛地区はこの矢部川に沿ってできた集落で、熊本県との境にある山あいにある。
県の北東部の豊前市三毛門地区は、1個が4kg近くになる大きな日本かぼちゃ、三毛門かぼちゃの産地で、「かぼちゃのだんご汁」がつくられてきた。三毛門かぼちゃは、約450年前にポルトガルから伝わった日本最古といわれるかぼちゃで、昭和3年(1928年)には昭和天皇に献上した歴史があり、平成30年(2018年)7月には豊前市の天然記念物に指定された。
「ふなやき」は、筑後地域に古くから伝わる小麦粉を使ったおやつである。小麦粉と水を混ぜ、丸く薄く焼く。